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回復応援インタビュー

松本俊彦さん

精神科医。国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長 兼 薬物 依存症センター センター長。専門は薬物依存症、自殺予防、自傷行為など。

松本俊彦さん

精神科医。国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長 兼 薬物 依存症センター センター長。専門は薬物依存症、自殺予防、自傷行為など。

インタビュアー
塚本堅一(元NHKアナウンサー)

依存症問題とスティグマ
    • 塚本
    • 依存症の問題を考えるときに、否定的な考え方であるスティグマがどうしてもついてきます。スティグマは、どうして生まれると思いますか?

    • 松本
    • とても、難しい問題ですよね。最近僕は佐藤哲彦(あきひこ)氏など、社会学者の人達の本を結構読んでいて、その人はいろんな薬物と文化とか歴史とかを書いるんです。それを読んで、なるほどなと思ったのは、実は薬物規制って科学的な健康被害の重症度にあまり準じていないんですよ。例えば、アメリカなどが大麻についてうるさく言っていたのは、メキシコ移民との軋轢だったり、ヒッピームーブメントなんかがあって反政府的な動きが大きくなったりした時、やっぱり大麻けしからんみたいな流れでした。日本もそれに乗らされていて、ヘロインの問題では中国の移民とのバトルみたいなものがあったり、覚醒剤取締法は、戦後の戦争孤児の問題とか在日朝鮮人との差別だったり、そういうかなり個人的な感情みたいなもの、社会のいろんな上手く行かないことにスケープゴートが必要になってきた時に「薬物だろう」みたいな感じに流れていくんですよね。

      だから、深川通り魔事件のような凶悪犯罪が起きると、本当は薬物だけの問題ではないのだけれど、理解ができないから落とし所として「薬物がいけないんだ」と。あるいは、相模原の障害者殺傷事件でも大麻がクローズアップされて、薬物ってスケープゴートにされるなって気はしています。

    • 塚本
    • 確かにそういう意味では、これが悪いと決めつけたら楽と言えば楽じゃないですか。

    • 松本
    • 一見すると誰も傷つけない仮想敵国なんですよね、薬物って。 人はよく分からないものとか、原因不明なものって居心地が悪くて不安なんでしょう。その時に物事を単純化するのに外部から来た異質なモノとか。薬物という外から来るモノ、外から敵がやって来るみたいな図式にしてしまう。

      アメリカでも支持率が下がると薬物に関して声高に叫ぶと、支持率が上がるという現象が何度も歴史の中で繰り返されています。

      アルコールも、かつてそういう風(悪い違法なもの)にされた時代があったけれども、あまりにも文化に浸透してしまったというのがあるんですよね。薬物って色んな人が悪いものとしやすい土壌がまず背景としてあるなという気はしています。

      あと、アルコールとかギャンブルみたいに多くの人が経験している嗜癖対象の場合には、そこから逸脱した使い方をする人達に対しては、だらしないとか意志が弱いとかダメ人間という評価を押されてしまいやすいですよね。

    • 塚本
    • 私は、アルコールやギャンブルをコントロールできるのに、なぜ出来ない人がいるのだと。

    • 松本
    • もちろん、本当にだらしなく無いのかということを突き詰めていくと、人それぞれだと思いますが、歴史的にその人達をだらしがないと言って責めても問題が解決しなかったということだけは明らかなんですよね。そこを前進させるためには何が必要だったかというと、AA(アルコホーリック・アノニマス)とか、あるいはAAの母体となっているオックスフォード派の教会の人達の考え方というのは、「あれは病気だ。」という概念にした。人格から切り離してあげることによって、「一緒に君の病気と闘おう!」という風になって初めて事態が解決した。この歴史の事をもっともっと多くの人が知る必要があるんです。多くの人が出来ているけれども、一部の出来ない人達のことを、その人の人格を責めるだけでは何も解決しなかったという歴史を皆忘れているんですよね。

    • 塚本
    • 解決に向けての話し合いというのが出来てない。病気をまず治すことが必要な訳じゃないですか。そこに上手く結びつかないというか、どこか他人事なのかな?と思いますが・・・

    • 松本
    • 自分は関係ない。自分はならないっていう風に思っているんだと思うんですよね。あと、これ本当に難しいなと思うのは、うんと近くにそういう人がいた場合、例えば依存症者の家族とか恋人がそうだった人達って、二つの反応に分かれる気がするんです。とにかく依存症大嫌いになる人がいるんですよね。

    • 塚本
    • 近いからこその、憎みのようなものなんでしょうか?

    • 松本
    • 医学部の学生とか精神科の若い先生達の中にも依存症を毛嫌いする人達の中に、身近にそういう人達がいて凄く苦労させられた人がいる。一方で身近にそういう人がいたから他人事とは思えないという風に凄く距離が近くなる人もいて、この両極の反応って不思議だなと思うんですよね。

    • 塚本
    • 両極になるというのはちょっと意外です。

    • 松本
    • だから依存症の分野で活動している人の中にも身近でそういうのを経験している援助職の人も結構いるし、毛嫌いして「絶対依存症は診ない」と言っている人の身近に依存症の人がいた場合もあるんです。これは依存症に限らなくって自殺対策もそうなんです。自殺対策に関わっている人達も自分の身近で自殺が起きたり、自分が診ていた患者さんが自殺で亡くなられたり。「自殺対策なんて意味ないよ、防げるものじゃないし予測もつかないよ。」という人の中には実は結構身近な自殺を経験している人達もいます。

    • 塚本
    • 振り切れちゃう感じなのでしょうか・・・・。

    • 松本
    • やはり、人は傷ついたトラウマ的な出来事に対して両極端な反応を取るんだなと思って、それはそれで僕は仕方がない気がしているし、でも適切に関わることによってそれぞれが中庸になっていく可能性は充分にあります。問題はその中間の人達ですね。

    • 塚本
    • スティグマがあるがために依存症者本人と家族にとって、害になるって事ってどんなことですか?

    • 松本
    • やっぱり助けを求める事、相談する事ができない。それで、自分達を責めて自分達がなんとかしなければいけないっていうふうに追い込まれてしまうってことだと思うんです。よくあるのは「この子を殺して私も死ぬ。」って。まあ極端な言い方かもしれないけど、それに類するような状況は、例えば保健所なんかの事例検討会などでは、しばしば耳にします。なかなか医療までは来ないけれども、だから見えない所で孤立している人がこのスティグマのせいで、どんどん増えているように思いますね。

    • 塚本
    • 「この子を殺して」っていうのは薬もお酒もギャンブルにもあると感じています。

    • 松本
    • 共通してると思いますね。当事者や当事者周辺がみんな恥の意識をもって自分を責めてしまうってこれはたぶんスティグマのせいだと思います。

    • 塚本
    • それで、適切な所へ繋がるのに時間がかかってしまうのは、本当にもどかしいですね。

    • 松本
    • もっとややこしいのは、当事者や当事者の周辺もそういうスティグマによって自分たちを責めているけれども、援助者の方もやっぱりスティグマの影響を受けていて、医学的な知識とは別に、スティグマの中でスティグマにまみれて、その上に医学が乗っかっているだけになっているから、本人や家族に対しても知らないうちに処罰的な態度で向き合ってしまう。すると、運よくアクセスした人達もそこで余計傷ついて「やっぱり助けを求めなきゃよかった・・・」っていうふうになってしまう事例もすごく多い様な気がするんですよね。


  • ▲インタビュアー塚本さん
    • 塚本
    • 海外でのスティグマへの向き合い方は、どうなんですか?

    • 松本
    • 海外だと、アメリカなんかは、日本と昔はそんなに変わらなかった。でも今は、困っている問題を抱えているほど、依存症の問題を起こしやすいなど、薬やアルコールに手を出す人の気持ちを思いやるような教育が始まっているし、オーストラリアなんかでは、十代の子たちがクラブなんかで薬を使って、使い方がおかしくなってやばくなった時に、救急車を呼んであげないことによって死んでいる命もあるから、とにかくそういう時には、あなたも別に絶対罰したりしないから救急車呼ぼうよ、という啓発のポスターをやっていますね。

      薬を使っていることがバレたら失うものが余りにも大きすぎる社会だと、逃げるしかない。でもそうじゃなかったら逃げずに命が守られる。つまり何が言いたいかって言うと、薬使うことはいいことじゃないかもしれないけど、もっと大事なのは命だよねっていう発想です。

      でも日本だと、いやいや薬使うんだったら死んでも自業自得だから、みたいなのがまだまだあるような気がするんですよね。我が国がなぜ薬物を規制してるかっていうと、やっぱりそれは命が大事だからだっていう、その前提がひっくり返らないようにしなきゃいけないと思うんですよね。

    • 塚本
    • 一番大切なのは、命を守るということですね。

    • 松本
    • アメリカでも偏見は無いとは思ってないけど、日本に比べてはるかに前に行っているのは、やはりメディアで回復のプロセスが描かれている点です。やはり依存症に対する啓発とかスティグマ解消のためには必ず回復のプロセスとか回復した具体的な人が語ることがセットでなくては無理なのだろうなと思っています。あと、単に非犯罪化というだけじゃなくて、非犯罪化した結果こんなふうに回復できた人がいるよというのを、いろいろなメディアでかなりの頻度と量を紹介することが必要だと思います。

    • 塚本
    • 当事者が、自分の依存症のことについて話すことはどうでしょう。

      私は、依存症ではありませんが、自分の薬物事件が大きく報道されたこともあって、ある意味開き直って自分の薬物使用について色々なところで話せるようになりましたけど、そうじゃなくてひっそり会社を解雇されたのなら、人に喋っていたかというと恐らく喋っていないと思うんです。やっぱりハードルはかなり高いですよね。

    • 松本
    • 本当に純粋な依存症者たちは、薬物、アルコール、ギャンブルもみんなそうなんだけど、普通の人だと思うんですよね。そういう人たちにホントは話して欲しいなって思います。

      よくメディアなんかでも、プログラムの現場見せてくださいって言われるんだけど、失いたくないものいっぱい持っている人が来ているからメディアを入れられない。マスメディアからすると、やはり具体的なイメージがないから依存症について取り上げにくい。そして、僕たちの知ってほしい部分と、やっぱり本人たちの秘密を守らなくてならない部分がせめぎ合ってるから、自分の診ている人たちに、出てよ、語ってよとかなかなか言いづらいんですよね。

    • 塚本
    • 解決策として、当事者が語るのが有効であるけれども、表に出るリスクを考えると、やはりもろ刃ですか・・・。

    • 松本
    • アメリカの場合には逆に、変な言い方すると、普通の人より一回依存症になってから回復した人の方が偉い感じがする。あれをどうやってアメリカは作れたんでしょうね。

    • 塚本
    • 向こうの国も簡単ではなかったと思うんですよ、偏見も含めて。それが今では「回復したの?すごいね」ってハグしてくれるとか、ちょっと違う人扱いしてくれる。そもそも回復するもの、酒や薬を断ってクリーンでいられるのいいよね!なんて言えるのは、素晴らしいと思うんです。

    • 松本
    • 昔ヤバいことに手を出しちゃったけど、回復してるからカッコイイ。だから、出ることによって何も失わないどころか、「すごい!」「見直した!」みたいに思ってもらえる土壌があれば、ますます回復者がでますよね。

    • 塚本
    • スティグマの話で、もう一つ聞きたかったのが、以前、山梨のギャンブル依存症の回復施設で行ったシンポジウムで、地元の区長さんが来賓挨拶でスピーチをされていたんです。それが凄くよかった!

      その区長さんも最初の頃は、施設の利用者である依存症の当事者達を不審に思っていたけれど、地元の祭りに参加したり、地域の掃除を率先したりする姿を見て、回復していく姿が素晴らしい!と、Welcome状態になっている。その話を聞いていて、各地で起きている薬物依存症の回復施設の反対運動とこんなに違うものなのかと。

    • 松本
    • 実物の依存症当事者を見ていないからと思うんですよね。朝、駅前の清掃のボランティアをやったりとか、頼まれもしないのに手伝いに行ったりとか、自分たちの生の姿を見せていかないと偏見は解消できないですよね。そこで、たまたま地元の人たちと話して、「結構いい若者だったね~」みたいなのが積み重なっていかないと無理なんだろうなって思います。

      どうしたらいいのかなと思うのだけれど、カナダのハームリダクションにかかわった人達の書いたものなどを読むと、すごく苦労していて、何度も何度も国からつぶされかかりながらもやってる事を考えてみると、ああこれは我々も泣き言を言っていちゃいけないのかなと反省することも正直言うとあります。やっぱり繰り返しやっていく中でちょっとずつ賛同者も増えていくのではないでしょうか。

    • 塚本
    • なるほど・・・そうですね。ありがとうございます。