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回復応援インタビュー

森田展彰さん

精神科医。筑波大学 医学医療系 社会精神保健学 准教授。専門は司法精神医学、精神衛生 学、依存症、児童虐待など。

森田展彰さん

精神科医。筑波大学 医学医療系 社会精神保健学 准教授。専門は司法精神医学、精神衛生 学、依存症、児童虐待など。

インタビュアー
塚本堅一(元NHKアナウンサー)

家族支援の重要性
    • 塚本
    • 依存症の問題を考える上で、依存症当事者だけでなく、家族支援が必要なのはどうしてでしょう。

    • 森田
    • まずは何と言っても家族は、最初に登場する相談者なんです。本人は基本的にはあまり自分の問題については認めない認めたくないということで、意識がないんですけれども、一番困っていて助けを直接求めているのは、やはり家族です。家族が一つの入り口になって支援が展開できることもあるので、当事者が自分の問題にちゃんと気付くためにも、その入り口の部分で家族のことは大事になってくると思います。

    • 塚本
    • 家族だと、依存症の当事者より比較的冷静に見ることが出来るということでしょうか?

    • 森田
    • 冷静というより、やはり実際に困っているということでしょうね。アルコールだったら健康障害とか、ギャンブルだったら経済的問題とか、依存症の場合そういう困ったことが起こっても継続してやり続けてしまう訳ですよね。背に腹は変えられないというか、このままの状態なら命を落としてしまうとか、刑務所に入ってしまうとか、一家のお金が無くなってしまうとか、差し迫っているので、まずどっちが動けるかというと、家族の方がSOSを出せるということは間違いなくあります。

    • 塚本
    • 薬物とアルコールとギャンブルなど、様々な嗜癖の種類の中で、これは割と早く繋がる、これは繋がるまで時間がかかるというのは、ありますか?

    • 森田
    • なかなか一概には言えないですけれど、どれもやはり3~4年、場合によっては10年近くかかっています。それぞれちょっと事情が違うと思うんですけど、アルコールの場合はやはり健康障害で肝障害とか、いろいろな問題が繰り返し起きてきて、ようやく重い腰が上がる。ギャンブルの場合は気付いた時に、比較的他の依存より家族とか本人が、あまり健康状態が悪くないのでフットワークはあるのかな?という風に思います。

      ギャンブルの問題だと気付くのにまず借金を隠しているし、借金の背景にギャンブルがあることなども家族側からはあまりはっきりと見えていない場合もあるので、気付いた時には深刻な督促が沢山来て、もうお金は全くありませんという状態になっちゃう。

      それでもとにかく金策も含めて家族はもう動かざるを得ないというとこでやって来るという感じです。

    • 塚本
    • 依存症者と家族は、どのような関係になれば良いと思いますか?

    • 森田
    • 続けたいっていう気持ちを抑えきれないのが依存症ですから、結局依存症の人達は自分の問題をできるだけ見ないようにして、それを続けようとする。それがそれなりに成り立って生活できていると、わざわざ治療に来るっていう発想にならないんですよ。お金を使い続けても家族などがサポートしてくれるから、自分の問題としてはっきり認識しない。

      元々苦しい人間関係とか、寂しい状況があって依存症になる人もいるし、依存症が深まるうちにさらに孤独になったり人間関係がどんどん希薄になったりする。

      依存症になるという事はやはり依存行為が最優先になってしまって、本来のその人は家族や友人を大事に思うはずなんですけども、依存症が深まってくると、頭の働きとしてそういうことの優先順位が下がったような認識になっていきますから、人間関係についてどんどん壊れていく。孤独になると、余計、依存物・依存行為にすがるような形になっていきます。

    • 塚本
    • それは、本当に悪循環ですね。

    • 森田
    • 虐待を受けたとか、非常に寂しい思いとか離婚とか、いろいろな辛い家庭状況があって依存症になる人もいますから、安心感とか自分なりの生きててうれしい!っていう状況を得られなくなってるので、もう一度薬物とかギャンブルなどによらない生活で、もともとの本当の自分や周りの人を大事にできるような関係、安心できる人間関係を手に入れるっていうことが、本当の回復に繋がっていきます。

      人間関係の代表格は家族関係なので、その家族との良い関係を取り戻すっていうことが、支援上のやり方の一つの大事さであります。

      いろんな依存症の人に会っても、依存症がなくなったらどういうふうになりたいか、どういうものを取り戻したいかっていったら、やっぱり家族との関係を取り戻したい。という方が多いですよね。だからそれが大きな動機。自分がもう一度やり直していく大きな目標にもなりますし、人間関係の代表でもある家族関係を取り戻すことを目指すお手伝いが、依存症の支援の中心的なものだと思います。

    • 塚本
    • 家族との人間関係を再構築していく上で、家族もやっぱり傷ついているわけじゃないですか。傷ついたもの同士が何も知らないまま過ごしていても治るわけがないですよね。

    • 森田
    • 治りにくいです。お互いに傷ついちゃうパターンになっていますからね。家族も本人のためを思って色々言っていても、かえってそういう言葉が本人にとって冷たくきつく感じる。

      家族もやはり戸惑っていて、自分たち家族よりもギャンブルの方を取って、私や子供が悲惨な状況になっているのに、どうしてへっちゃらでいるんだろう?二重人格にも思えるんですね。

      もともと信頼していたはずの人が、大きく変わってしまって、ないがしろにされてしまい、傷つき戸惑う。そうした思いがお互いにぶつかって、結果的に依存症がさらに悪い状況に落ちていく。だから、家族と本人が向かい合ってる状況だけだと、悪循環を切り替えにくいので、少し距離を取って、家族自身の傷つきもサポートしてほしいですね。

      例えば、家族がどんどん借金を肩代わりしちゃうような、あまり上手くいかないやり方も、ただやめた方が良いと言われても、「こんな大変なのに、お金払わなかったらもっと大変になっちゃうから、何とかしなくっちゃ!」と、しゃかりきになってしまう。それを、少し払わない状態でやっていくみたいな事も、家族へのサポートやアドバイスがないと、一貫した形で出来ないです。家族自身が、多少でも余裕を取り戻して自分自身の人生も大事にして。というようなペース配分も一緒に誰かがついてあげてやっていくことで悪循環から少し距離を置けると思います。


    • 塚本
    • 依存症者が回復する際に、寄り添ったり見守ったりする伴走者がいればいいとよくいわれますが、家族に対しても同じように見守る人みたいなものが必要なんですか?

    • 森田
    • そうですね、安心の基地なんて言う心理学の用語で言ったりしますけれども、安心できる基地と言うか安心できる受け皿、居場所、そういうものは誰にでも必要で、家族にも絶対必要です。

      自己犠牲的に何とかしようって思っているとうまくいかない。家族自身も自分を大事にするような関係とかスペースがあって、それで少し落ち着いた気持ちを持てる。まず家族にそういうものを提供するということが、支援の糸口になるのは確かですよね。

    • 塚本
    • 例えば、家族の一人が依存症者になってしまったとき、自分たち周りの家族が悪かったのではないかと責める人も多いと思います。そういう人たちに何かアドバイスするとしたら、どんなことですか?

    • 森田
    • いろんな説明の仕方があるのですが、一つは病気という側面を、まずきっちり考えるということだと思います。家族と本人とどっちかが悪いという話ではなくて、いろんな経緯の中で偶然そういうものと出会ってしまって、感染症ではないですけど、何かかかりやすい状況があって、病気としておきている。

      特に、依存行為そのものは本人がやっている訳ですから、家族にはそれを止められない。依存から回復するというのは、本人自身が自分でセルフコントロールする力を取り戻すということにもなりますから、家族が丸抱えで、家族がうまくやってあげればいいみたいな考え方で家族自身を責めるのは、かえって本人が自分で自分をコントロールできないのは自分が悪いと思ってしまう。本人の自主性が伸びてこないですし、本人自身も自分なりに試行錯誤していかないと、転ばぬ先の杖みたいなことばっかりやっていると、どんどん子ども返りみたいになってしまいます。

      でも、日本では家族主義というのが強いので、家族にすべての責任があるんだという考え方の縛りが強いし、誰かが依存症になったときに家族が代わりに頭を下げて、すいませんでしたっていう風な、芸能人なんかによくみられる光景ですけど、そういうのはおかしいですよ。例えば、認知症に誰かがなったとき、誰かが認知症にしてしまいましたと謝ったってしょうがないですよね。それなのになぜか依存症に関しては、他の病気以上に家族に責任を負わせる風潮があると思います。

      自分の家族を守る責任があるとか、大事にしたいという思いがあるのは自然なことだと思うのですけど、特に依存症問題については、本人自身の自分自身が生きていく力を取り戻すというところが大事ですから、家族愛みたいなところが、ある意味で裏目に出てしまうので、そこが難しいんですね。大事にすればいいとか、一生懸命家族が努力するのだという話が、下手をすると依存症を治すうえで逆に反対の効果になってしまいます。

    • 塚本
    • 一緒にしていいかわかりませんが、私自身が薬物事件を起こして解雇されたあとに、生活を立て直すまで。ということで、家族である姉に住むところなど生活の世話になったんです。最初のうちは、ありがたいと思っていたんですが、そのうちに「迷惑をかけてる」という思いが湧いてきて、結果としてプレッシャーに潰されてしまったんです。

    • 森田
    • 助けてもらって嬉しいけれども、これは俺がやるしかないと思っていたものが、じゃあこうやってくれるよって言われると、とりあえずそれでいいかとなるわけで、そうするとある程度切り替えて自分でやるぞという、よくも悪くも自分でやっていくしかないっていう部分を担う気持ちが、少しシュッと下がってしまう。

    • 塚本
    • そうなんです。本当にねじれているなと自分でもわかっているのですが・・。

    • 森田
    • やってもらうっていうことがかえって重たく感じて、申し訳ないとか、こんなに迷惑をかけてる自分がすごくダメな存在だっていうふうに思ってしまう。大人になっているのに面倒見てもらわないと、生きていけないって言われているような感じですね。

    • 塚本
    • こんな状態になっちゃったのか俺は・・・のように思う人は結構いるみたいです。一方で家族からしてみれば、こんなお金を出してサポートしているのに、こんなことまで言われて、って複雑な思いもあると思うんですよ。

    • 森田
    • そうですね、お互いに辛くなっちゃうと思うんですよね。そういう点でも交通整理で、家族ができることとか、あえて家族が手を出さないように頑張った方がいいこともあります。

      家族という濃い関係、いい気持ちもたくさん出るし、悪い気持ちもたくさん出るような近さがあるので、そこを仕分けるのは家族だけだと難しいので、間に誰か他の人が入ることです。やはり同じ立場の人がいるっていうのが自助グループのいいところですし、そうした助けは絶対あった方がいいですよね。

    • 塚本
    • 第三者の重要性っていうのはわかりましたが、家族の問題になってくると、なかなか介入する機会がこれまでなかったりすると、話す勇気が必要かなと思うんですけど

    • 森田
    • 自分が助けて欲しいということについて、なかなかヘルプが出せないっていうことはすごく大きいと思います。でも、いろんな病気になって、例えば体の病気なんかだったら病院に行くっていうことについてそれほど抵抗がないと思うんですね。癌になったけど私が治しますっていう家族はいないと思うんです。

    • 塚本
    • 確かにそうですよね。癌がわかったら、病院はもちろん、病気平癒のお参りに行くとかガンに効くといわれる食べ物を全て試すとか、色々手を尽くすと思います。でも、なかなか依存症になりましたってというところで、そこまで動けるのはないですよね。

    • 森田
    • 動きづらい。やはり一つは目に見えにくい精神的な問題であるといえます。特に行動の依存であるギャンブルだと、これが病気なのかどうかわかりにくい、それにスティグマはバッシングされますからね。そういう病気という見方は浸透してないので、やはりだらしない人とか、スキャンダルみたいなことになります。

    • 森田
    • 社会自体が問題についてちゃんと警鐘を鳴らすことにあまり熱心でない。にもかかわらず、依存症になってしまうとダメ人間のように罵倒するので、その辺のバランスが悪く相談しにくい国になっていますよね。うまくいかなくなったときに、それを取り戻すチャンスを持ちにくいといった考え方が社会全体にあると思います。

      だからこそ、問題が起きたら、早めに相談に行ったり、ちょっとこれだとやり過ぎだから少し控えましょうと。もう少し早い時期だったら、もしかしたらうまくいくかも知れない。危なくなったら早めにバランスとるようなことを相談できたらいいとか、気軽にそういうことができる時代に育つといいと思います。

    • 塚本
    • 風邪を引きそうだなと思ったら、うがいをするとか、マスクをするとか未然に防ぐことを考えますが、そういう意味で「ギャンブルやりすぎて私は大丈夫?」のような発想があるといいですね。お酒も含めてですが。

    • 森田
    • あるといいですね。今は、そういう段階で相談があまりないですから、そういうことを具体的に相談できるようなところがあると、きっと違うと思いますね。